批判と正義の行方

ネット批判はいま曲がり角に来ているのかもしれません。

正義の所在

これからの「正義」の話をしよう ──いまを生き延びるための哲学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

見える化することで見えなくなったものが正義
コメントは見えることで、数や内容、一つ一つの主張がはっきりと分かり
それを見るだけで影響されてしまうようになりました。

これはボリュームや同様の内容が連続することで
内容よりも多数の主張というものが正しいという認識に見えるからだと思います。

しかし、そのコメントはあくまで外野の意見であって
情報を調べているわけでも当人でもないわけです。

情報の精度から考えるともっとも適当な情報なのですが
同様のコメントが並ぶことでなんとなくその意見の方が
多数を占めていて正しいように感じてしまうのです。

このような状況が続いており
正しいものから一番遠くなったと言えるのでは言えるのではないでしょうか。

正しさは視点によっても変わってきます。
誰の視点か、どの観点からの評価かでも変わります。

そして本人の主張が全て正しいことを言っているとは限りません。
このような状況の中でメディアは
盛り上がるように両方の目立つ内容を取り上げ注目を作ります。

すると話しの軸から遠い話しが主題に置き換わりやすく
問題をより深くしていきます。

人の意見が平等に見える化することで
正義の所在が見えなくなったように感じます。

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批判する心理

今の批判は感情面しかなく、材料になりません。
良い、悪い、人格の攻撃など問題の軸はどこにいったのでしょうか。

もっともその人を本格的に攻撃したいのなら正しさについて確認する作業ことです。
感情的なコメントは物事を解決には導きません。

とはいえ、感情的になる理由は分かります。
身時な人に似たような経験をされたからではないでしょうか。
その感情が沸き起こりその時に言えなかった感情をぶつけてしまいたくなる。
どうしようもならない自分の境遇などへの怒りや嫉妬をぶつけているのかもしれません。

そもそもその問題に対してなぜ、怒りや批判を浴びせたくなるのか
その心理的状況を確認するのが大切だと感じています。

何もないのであれば「分からない」というのが答えなのではないでしょうか。
良いのか、悪いのかわからない。

ですが積み重ねてきた経験の中であった
ネガティブな体験や境遇で善し悪しを判断しているのではないかと思います。

現在、批判で課題になっているのは
批判の内容に受け手から見て正当性がないからではないでしょうか。

人格攻撃をするのは簡単です。
過去の失敗を攻撃するのも簡単です。

何故なら、なんとでも言えるからです。
なんとでも言えるし状況を読み解く必要はありません。

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正義の行方

正義は心血を注がなければ見付からないでしょう。
そのため、見るためにはそこに時間と
労力がよりかかるようになると思います。

情報を手にするのは簡単になりましたが
その情報に正義があるのかを判断するためには
自分自身で結局調べ、理解を深めていく必要があります。

情報が開かれていない時と変わらないと言えば同じかもしれませんが
調べる要素、理解までの時間はより掛かると感じています。
理由は情報が多く、精査するために時間がかかると点です。

有益な情報も多いですが、その分、一部の誤りや違い
操作された情報や着色されているものまで膨大に広がるので

軸となっている本筋を予想立てていくのが簡単では
なくなってきているように感じます。

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ネットでは誰が正しいのか

ネット上には正しさはより少なくなるでしょう。
批判の中に正しさを見付けていくのは困難になると感じています。

誰も正しくはないが批判だけは増大していく
そして互いが傷付け合うような状況がまだ続くのではないでしょうか。

願わくば、批判をする人が、感情論での批判をしないことで
物事はクリーンにスマートに進むのではないかと感じています。

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