弱い自分は嫌い、そんな生き方をもうしたくない
こんな辛い生き方はもうしたくない。
そう思いませんか。どうしたらこんな未来を変えられるのだろう。
そんなことをずっと思っていました。
雑魚だった自分
才能の欠片を感じられなかった幼少期
その原因は、幼稚園の頃に年下の子に棒で殴られて意識が飛んでしまった敗北感からです。
その時、僕は年下にも勝てない弱い男なんだと感じてしまいました。
そして同年の子よりも低いスペックだという絶望感です。
来世に掛けるしかないと思っていた
漫画「はじめの一歩」の主人公は虐められていても、体力と持ち前のパンチ力など才能を開花しチャンピョンへと上り詰めていきますが
僕には誇れるものが何もなかった。
運動も出来なければ、勉強も出来ない、社交性もなくコミュ障な僕は人生オワコン
来世まで今世を凌ぐしかない。みたいに思っていました。
他人の2倍、3倍努力して同じ土俵に立つことが許される
ずっとそう思っていました。
他の人よりも頑張らなければ、今世では生き残れない。
生き残るにはみんなが楽しく遊んでいる時も努力しなければならない。
そう思っていました。
そして神様の奇跡や思し召しが来るのを待つしかない。
今世の生き方はこの方法しかないそう思っていました。
弱い自分と向き合い方
結論、そんな自分すら神の視点で自分自身が自分自身を許していくことなのだと気付きました。
努力していた時も弱い自分が許せない時間が殆どでした。
何故、こんな低いスペックなのだろうと、ずっと思っていました。
そして正しい努力をすることから目を背けたり、自分の言い訳に変えていました。
だからこそ、許し、自分自身に立ち向かっていくことが
一番真摯に向き合っていると言えるのではないでしょうか。
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