今情報は無料で手に入れることが当たり前です。
それは素晴らしいですし
速報の入り方も複数の窓口ができるようになりました。
しかし同時に情報の正しさなどの精度は全体を総括して考えると下がったと言えます。
・フェイクニュース
・ステルスマーケティング
受け手にとって求める正しさの精度は
かなり難しくなったように感じます。
情報の真偽はより分からなくなる
これからより情報の真偽は分からなくなるでしょう。
口コミも操作されている可能性はより高くなります。
理由は簡単です。様々な情報発信媒体がこれらの規制を強化する流れになるからです。
そのため、より分かりづらい形での
偽物の情報発信が多くなっていくでしょう。
情報の発信者を責めるのはお門違い
今回のテーマです。
発信される情報の精度を発信者に求めるのは間違いです。
受け手が欲しがる情報の正しさは曖昧な要素がない結論的情報です。
例えばコロナの効く薬はどれか。
副作用はないのか。
分かり易いテーマにしていますが、本来他の病気などに置きかえてみれば分かるのと思いますが
本来であれば病気になり診察を受け、その診断の元適切な薬が処方されるのが一般的です。
この流れの中には症状や体質、状況を鑑みて必要な適正量の薬を調合しているプロセスがあり
病気でも薬のマッチングを行っているのが当たり前なのですが
唐突に新しい病などに出会うと、これらのプロセスがあったことを忘れてしまい
結果だけを求めてしまっている形になっています。
効くか効かないかについては、本来であれば受け手の最低限の基礎的な知識が必要になります。
その知識をベースに情報の言いたい本質についての理解を深める必要があると思います。
結論のある情報に注意
結論がある情報はむしろ注意する必要があります。
可能性としてはステルスマーケティングを活用した宣伝行為の場合もあります。
または誇張表現になっているかもしれません。
現在、情報の受け手はほぼ最新の情報にも触れられる状態にあります。
それが一般化している状態で今、私たちは更に結論まで求めるようになっている状態になっているのではないでしょうか。
感覚が少し麻痺しているのかもしれません。
最新の情報は一次情報です。
あくまで事象の状態だけがわかるもので、それ以降の情報は推測や憶測が含まれています。
その推測や憶測を結果として受け入れるのは右往左往する原因と考えるべきではないでしょうか。
まだ状況が分からない中、結論のある情報はそれらを鑑みると
誇張表現であったり、ステルスマーケティングの宣伝行為の可能性が高いでしょう。
試される情報リテラシー
情報リテラシーは受け手の側こそ持つべきものだと思います。
少しでもその気になる方向に対して勉強をしておくことが大事だと思っています。
知識があれば、情報への疑問を持つことも判断の指標を得ることができます。
しかしこれができない理由も理解できます。
サービスが進歩、発展し、楽な生活ができるはずだと思い描いていたのではないでしょうか。
しかし実際には、一人一人がやることが増え、過去に逆戻りしているような状況になっているとも言えます。
幸せ、快適のギャップが情報を調べるという行為のハードルになっているのではないでしょうか。
一つ一つを理解するのに一つ一つに膨大な時間を割かなければならないため
結果、自由や快適から遠のいている感覚がしてしまうためです。
だから情報は最速の結論が欲しくなり
約束された結果が欲しいと思ってしまうのではないでしょうか。
ですが現実はその逆です。
安直に情報を鵜呑みすることで搾取される対象になりかねません。
結果求められているのは受け手の情報リテラシーです。
無料で情報を得られる代わりに、一人一人に真偽を委ねられたためその労力を自分自身が背負わなければならなくなりました。
情報リテラシーはこれらかの時代に備える心構えなのだと思っています。
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