恥ずかしいと感じた時に、敢えて残す。
何故記録に残すのか
徳川家康は合戦での敗北の姿を絵師に描かせたと言います。
それは、自分の恥ずかしく惨めな姿をいつでも見返し、反省するためだったとか。
記録を残す目的の結論。
目的をもって振り返る形にする。具体的に残しておくこと。
記録の価値は、そこにあるのではないでしょうか。
つまるところ記憶とは、曖昧で感情の浮き沈みで記憶も改変してしまうというのもあるでしょう。
渡世の恥も南の海の白い砂ではありませんが、振り返ればよい思いでになってしまうのも生き抜くための処世術なのだと思います。
ただネガティブに働いてしまうと、トラウマにもなってしまうのでコントロールする力も身につけたいですね。
武井壮もビデオを撮影し確認していた
自分自身を思いのまま動かす。武井壮さんはそんな話をしていたのを覚えています。
自分自身を思いのまま動かすって本当に大事だなと思いました。
そのギャップが埋まったら強いなと。
そのために武井壮さんは何をしていたかと言うと最初はビデオで記録した自分の姿を見ていたそうです。記録を付けるのは自分自身の対話のために一番有効なのかもしれません。
日記もその一つと考えるととても有効ですよね。
何かに自分自身をアウトプットする作業は生きる上で必須なのかもと感じました。
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