逃げればいいという生き方があると思います。
その生き方を否定するものではありません。
言いたいことはちがいます。
「逃げる」という選択は、必要なタイミングがあります。
それは生死を感じてしまうときです。
メンタルが落ち、生きている時が辛い時は必要です。
「死」を選択するより「生きる」を選択する方が幸せだからです。
でも、それは他者面線での幸せであって本人の幸せではないと感じたからです。
しかし、この「幸せ」は同じ言葉で意味合いが混交してしまっています。
本人の幸せは、死にたいくらいにつらい現実から逃げ、苦痛から解放されたいと願っているからです。
それは「死」から逃亡するだけでは実現できないと思います。
だから安易に逃げればいいという選択が幸せなのかについて疑問を感じてしまうのです。
問題は、問題の当事者と第三者が願うことの落差なのだと思います。
だから当事者の「幸せ」について考えるのであれば
逃げる選択肢は次自分に向き合うための時間稼ぎのための戦術であり
幸せ」になるには何らかの辛い現実に向き合う必要があるということを
伝える必要があるのではないでしょうか。
それが本人の問題でなくても、現実は自分と周囲の環境や状況に影響されています。
それが本人の問題でないから現実が変わることはないのです。
だからこそ、そんな理不尽に向き合う強さを生きていく中で
伸ばしていかなければならないのだと思います。
そう言った意味で言えば、幸せになりたいのなら
理不尽や不幸、自分と言った敵に向かい続け闘わねばならないのだと思いました。
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