平和について思うこと

平和について考えることがありました。

平べったい平和が嫌い

誰もが平等で誰もが傷付かない。誰もが幸せに暮らせる平和、心穏やかな日々。
時々、とても理想だけが空の先にまで行ってしまっている平和を感じる時があります。

それが僕は少しだけ嫌いです。
誰かを騙しているようで嫌いなのです。

何故騙しているように感じるかと言えば、その絵に描いたような平和があまりにも絵空事だからです。
実現性がなさ過ぎて、物事を先延ばしにするための方便にも感じてしまうからです。

今は叶わない。だけど願い続けよう。

言葉の裏側にはそんなメッセージを感じます。とても綺麗で素敵です。
ですが、とても他人行儀でいったいその平和はいつやって来るの? とも感じてしまいます。

だからもっと現実的な平和を望みましょうよ。
というのが僕の意見です。

夢を見るのではなく、夢に近付いていく方法としての平和を選ぶべきでは。

こんな感じで書くと、とても平和を実現するためには苦難があるのではと感じませんか?

きっとこれが現実です。

「平和」とは非常に遠い苦難の道。
僕が描く平和の像とは、非常に多くの涙と苦渋を背負い歩き続けなければならない道なのです。

実現可能な平和を目指して

まず何を為すべきかと言えば、現実的に可能な平和作りをすべきだと思っています。
現実的な平和とは、武力の同時解体と過去の遺恨の全てをなかったことにすべきだと思っています。

これらの問題の殆ど過去の歴史に絡む連鎖とそれに伴う大義名分による意識の誘導です。
過去を全て無かったことにする事で以降の未来に歴史的背景を利用した大義名分を使わせないようにするのが目的です。

自分達がやったことを無しというのは簡単です。
しかし、被害者としての立場として無かったことにされるのは非常に辛い選択なのではないでしょうか。

そのどちらも同時に受け入れなければならないと思っています。

でなければ、もつれた糸によって世界中が泥の中に沈んでいくと感じているからです。

現実的な平和には、非常に多くの痛みを伴う

未来に平和を享受するためには、その世代が一番多くの痛みを抱えなければならないことです。
この痛みは、きっと傷付いた心を誰かのせいに出来ない苦しさです。そしてそれを打ち明けられない苦しさです。
ずっとそれぞれの中で解決に至るまで人生を歩み続けなければならない苦しさです。
この部分に関しては根本的なケアが出来ない。

なのでこの決断を受け入れた世代は、為べからず苦しい世代になるのではないでしょうか。
だから「誰も傷付かない平和」は現実的な感覚としては感じられないと予想しています。

この平和は、とてもモヤモヤとした晴れない人生を後世のために貫かなければならない現実が来るのではと予想しました。

だからこそやるべきこと

まずは許していくことが大事なのではないでしょうか。
全てを無かったことにすることはできなくても、個々が一つ一つを許してく。

そこで解決に線を引くことがとても大事なのではないでしょうか。

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