ある一定の解決について

とめどなく溢れる不安な気持ち焦りは自分と向き合いきれていないのでは。
ずっと悩んでいたことは、そこだったのだと思いました。

ある一定の解決とは

ある一定の解決とは、本当の解決ではない一次的な苦しさからの解放です。

僕はずっとこの状態にいました。
よく分からない悩みが5年以上続いていたと思います。
その状態がどうしてそうだったか、どうやって解決していったかを綴りたいと思います。

燃尽き症候群になり

前職での目標をある意味やりきってしまったのが原因でした。
目標を達成するには厳しいトレーニングを乗り越えなければなりませんでした。
体力がとても必要だったので、毎日のようにトレーニングをしていました。

高校を卒業し、その目標を達成するためだけに4年間は体力を鍛え、精神力を高めるためだけに過ごしていたと思います。
その時の僕は、本当に脇目もふらずやっていたと思います。

だから他のキツい仕事も頑張れました。
全てはその目標を成し遂げるために繋がっていると、純粋に信じられていたからです。
おかげさまで、4年後その目標を達成することが出来ました。
ちょっとした称号や報償を得ることも出来ました。
なので表向き、それは周囲の目からも成長した感じがあったのだと思います。

しかし、その目標を成し遂げた裏側でたくさんの挫折を僕は経験していました。
その時の自分の限界のようなものであるとか、自分の小ささなど。
正直なところ、表向きの達成と心の中での達成感での差がありすぎて絶望的な状態でした。

そして燃尽き症候群になりました。
4年間の努力と、心の中にある絶望的な結果に心が折れてしまっていたのだと思います。
それ以降の自分はモチベーションが保てなくなり、迷走期に入りました。
5年くらい迷ったと思います。

忙しさで誤魔化してみたり、遊びで誤魔化してみたりもしました。
結局、自分が何者か分からず、どうしたいのかも分からない中時間に流されていたような状況でした。

その燃尽き症候群の間に感じ続けていた言い知れぬけだるさや不安。
まるで村上春樹の「ノルウェイの森」を読んでいる時のような、心にどんよりとした雲のかかった状態
ある一定の解決の状態だったのです。

本当はずっと逃げていたこと

悩み続けている中で、気付いたことがありました。
そもそも、その目標を達成したいと思った理由です。
それは「弱い自分から脱却」だったのです。

僕自身、その厳しいトレーニングを耐え抜けば強い自分になれる。
経験値を得て、レベルアップしドラクエの主人公みたいに勇者になれる。そんな気持ちでいました。
でも実際はそんなことではなく、常に戦い続けなければならないということでした。

尾崎豊の「僕が僕であるために勝ち続けなきゃならない」の部分がリフレイン
この歌が浮かんでは消えていった日々です。

欲しかったのはインスタントな自分の成長でした。
称号や目標を達成することで自分自身に目を向けるのをずっと避けていたのです。
本質的には、弱い自分と向き合うのが恐くそうしないためのツールを常に取っ替え引っ替えして自分自身を誤魔化していました。

ようやくそこに気づき、目を向けられるようになりました。

自分自身に向き合うことが最大の恐怖

一番避けているのは自分自身のこと。
どんな回りの恐怖よりも自分自身のことを受け入れていくことが
一番大変なのではないでしょうか。

それは実感しました。
だから、その途中で逃げたくなったり
呼吸困難みたいになり目の前の恐怖を振り払ってくれるものに頼ってしまいたくなるのもすごくよく分かる。
だけどそれを心の解決だと受け止めて欲しくないとも思いました。

本質を受け入れていかなければ必ずまた同じ壁が自分の前に立ちはだかってしまうですから。
遠回りも抜け道もないと思いました。

そしてモヤモヤした5年を過ごし、ようやく0地点に立つこと出来たと思います。
その経験のおかげで色々なことに気付けるようになりました。
成長も速くなったと思います。

自分自身のスタイルも大きく変わりはじめました。
だから「ある一定の解決」に逃げて自分自身の心身の体力を回復させてもいい
しかし諦めず向き合い続けてほしいとも思っています。

ある一定の解決は今を生きる人が誰しも抱えているのではないか

たいした経験ではないのですが、一人悶々と悩んだ結果得た小さなプラスの体験でも同じ境遇の人には何かの参考になると思いました。
そして今現在、「ある一定の解決」に縋りたくなってしまうツールが多いのも原因だと感じます。

ツールとは、悩みの解消法やサプリ、不安の解決方法などのコンテンツやフレームワーク、カウンセリングなども含めてです。
全て有用だとは思います。

しかしそれらはツールです。
自分という使い手あってのものです。
ツールに助けてもらおうとしている状態では、本質的な解決には至れない。

本質的な救いとは、他の誰かではなく自分ではないのではないでしょうか。
手を差し出しても、それを受け取り立ち上がるのは自分自身です。

解決への道は、自分自身の心の有り様に向き合うこと。
ツールではなく自分自身の取り組みでしか見いだせないのではと感じています。

まとめ

・「ある一定の解決」は解決ではなく、一次的な苦しさからの解放
・「ある一定の解決」は誰にでもあるのではないか。
・解決のためのツールが多すぎて、逃げやすい時代になった。
・解決への本質は、自分自身でしか出来ない。

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