DEIへの配慮は、どこまで必要か。

昨今、叫ばれている多様性への配慮。
このことについて新しい文脈であるため、中々どのようにどこまで配慮すべきなのかが分からない。
動画とDEIは映画の文脈から考えると深い関連があり
これらDEIへの配慮についてはより混迷を極めることになるでしょう。

DEIの点で目立ったのは、映画市場やゲーム市場ではないでしょうか。

人種への配慮を行ったことでエンターテインメントとしては失敗した。
こういった功罪が明確に見えてきています。

またアメリカの動きからDEI対応への縮小も進み、
多様性については、実際どこまで配慮すべきなのでしょうか。

見えない津波のような潮流

日本では、まだ海外の映画やゲームといった対岸の様子火事のような感覚かもしれませんが、
世界的な流れは、日本でも見えない波となってやってくる可能性があると感じています。

それが顕著に配慮を求めるようなると予想しているのが、

広告物については、すでに日本でも起こっていて、BtoC向けの広告は物議を醸すなど、
暴動や潮流を生むなどの運動には至りませんでしたがいくつか発生しています。

これらはBtoC向けで、大手であったことから良くも悪くも目立ってしまってしまいましたが、
「人は低きに流れる」の言葉のようにBtoB向けや、中小といった領域に踏み込まれるのではと予想しているのです。

巻き込まれてしまえば、社内での改革や発表などある意味で爆弾となりかねません。

DEIそのものを否定するつもりはありませんが、世界的に見ても、
これらの周囲にいる有象無象に注意する必要はありそうです。

DEIとは

多様性について包括的にかつ公平に取扱ましょう、という意味で生まれました。

多様性の尊重は古くから行われてきてました。
多様性については、人種問題から端を発したものだとすると、
15世紀くらいからの問題になるとも考えられます。

また産業革命以降の求められる労働力の変化、財力を持つ商人などの登場により、
王族などの階級階級が揺らぎ始めたところから、
多様性については考えられてきたのかもしれません。

https://www.jpc-net.jp/consulting/report/detail/dei.html

DEIがもたらしたもの

多様性やダイバーシティは日本でも推進がされており、
様々な企業がダイバーシティへの対応や表明をしてきたと思います。

その中で分かりやすいものが、女性活躍の推進ではないでしょうか。

男尊女卑の文化が強かった平成初期の状況から鑑みればダイバーシティとして、
改善すべきわかりやすいアプローチであることは間違いありません。

また、多様性が尊重し始めたことや働き方改革に伴い、
女性の社会進出を進むことと合わせて、能力のある女性が性別が違うというだけで、
冷遇されていた時代があったことは間違いありません。

これらの改善のためにDEIという概念は、一人の人間として正しいと感じます。
とは言え、DEIが何かをもたらしたのか。というと疑念が残ります。

DEIは、概念的に標語のような建付しかなく、そこに具体的な価値観はあまり感じないように感じます。

サステナブルといった概念の方がDEIと比べれば具体的で明快です。
多分ここには、どこ国にも共通して抱えている問題。

国民のセンシビリティな琴線に触れなければならない点が、
具体性を明確に定義できない点にあると感じます。

そもそも問題に関しては地雷のようなもので、どんな形を示しても角が立ち、触れれば爆発必死の問題です。
だから明言ができないというのが大きいのではないでしょうか。

その中で女性の就労比率を明示して取り組んで来たことは、これらの文脈から考えると、
非常に画期的で革命的だったのかもしれません。

ですが、問題を明確化せずに数値だけを具体化したことで、
内容と目的が乖離し、生産性や社会の循環がおかしなことになってしまった。
というような状況なのではないでしょうか。

具体的な数値を示すことはできないですが、アメリカのDEIの対応縮小の文脈から考えると
経済性からは失敗だったと読み取れます。

また数値だけに固執したことで、能力評価の点がおざなりになったことも考えられます。
本来、能力を評価するのは非常難しいというのも考慮しなければならないでしょう。

結果なのか、人柄なのか、そのバランスなのか。

また複雑化する社会のなかでそのポジションがマッチしてるのかも分かりませんし、
成長や学びの中で変貌する可能性があることも考えると、
ギャンブルに近いところはあります。

ですから数値目標はある意味で人事的には負担少なく選抜を行えたという意味では、
意味があったかもしれません。

多様性やダイバーシティは、企業文化を軸に評価する必要があるのではないか。
多様性を言葉のまま取り入れるのは間違いです。
そもそも多様性は一方向を示すことではありません。

双方向から見て表現される複雑な言葉です。
受容することも多様性ですし、拒絶することも多様性です。
何故なら、多様性は定義できない言葉だからです。

「多様性」「ダイバーシティ」を使えばなんでも、
「多様性」や「ダイバーシティ」と言えてしまえるように、

例えば、女性を優遇する会社もあれば、
男性を優遇する会社もある、これを社会という視点で見れば多様性になります。

多様性やダイバーシティはその言葉には全くの意味を持たず、意味をなしません。
だからこそ、多様性は非常に厄介とも言えます。

誰かが多様性という言葉を武器に多様性が足りないとなれば、
個人主観で言えば多様性が足りないとなってしまいます。
会社側が多様性という概念の理解が乏しい状況で発生した場合、
多様性が足りないこを受け入れなければならない状況に陥ってしまいます。

だからこそ、多様性については事前に会社ごとに定義する必要があるでしょう。

事前に定義さえ出来ていれば、
会社の持つ多様性の定義に照らし合わせて、正当性を検証すれば問題ないのです。

また事前に多様性について定義した場合、
経営陣や社長の交代により、方針が変わる場合、過去に定義した多様性と、
乖離が発生しやすく、定期的な見直しは必要になってくると感じています。

多様性を表明する社会の到来

次ぎに考えられる動きとしては、これら多様性の証明です。
SDGsのようにホームページで目標を掲げている企業は多いと思います。

このような潮流がDEIの文脈でも行われるのではないかと予想しています。
DEIの動きが縮小しているから、このような動きは発生しないと考えているかもしれません。

すぐにこのような動きが起こるとは思っていません。
しかし、DEIのような概念が消えることはないでしょう。

分かると思いますが、公平性については永遠の問題として残り続けます。
宗教や人種、性別、一人一人に個性があり、それを認識している間は違いを隔てる何かとして、
DEIのいう公平性の問題を問われることになるでしょう。

ですから解決できない問題として人類の課題として有り続けると予想しています。
これらの対策は一つです。

これしかありません。
問われる前に示しておけば問題ありません。

公平性を自社ではどのように定義しているということを示してしまえばいいのです。
これらの概念は、これから企業紹介動画にも求められるようになると予想しています。

何を尊重し、何を体現しているか。

コーポ-レートムービーではこれらの要素が入るように求められてくると予想しています。

すぐにこのような時代が来るとは思っていませんが、
頭の片隅に入れておき、このような潮流が来た時には早めに手を打っておく、
そのための事前知識くらいに考えておいてください。

理由は3点あります。

行き場を無くした人達がどこへいくのか

DEIを手動してきたのは、女性や人種、ある個性を尊重すべきと主張している団体や、
コンサルといった人達だと予想しています。

彼らはこのDEIの終わりに次ぎはどこへいくのでしょうか。
自然消滅するでしょうか。多分違います。

活動全てを否定しているわけではありませんが、悪目立ちしている多くの人達は、
新しい言葉や文脈、活動と合体して新しいムーブメントを
また世界に働きかけようとするでしょう。

これらの問題は、文化的に触れづらいことを盾に強行姿勢をとり譲歩や配慮による
恩恵を狙っている節があります。

彼らが次ぎに狙うのは、多分目立ちにくい中小の企業なのではと感じています。
DEIの概念は一般的に広まったとして、次ぎに取れるところを狙っていく。

日本では中小でも公式チャンネルがあり、看板娘的なポジションやアイコンとして、
インフルエンサーのような活動をしているチャンネルもあります。

こういった公式チャンネルに取り付き、アクションを起こしてくるのではないか。
小さく広くアプローチを仕掛けてくるのではないか。
そういった予想が一つ立ちます。

会社の中と外がSNSを通じて壁が薄くなったこと、また社員の出入りが多くなり、
過去の社内状況の暴露など、世間と身近に繋がったことによるリスクは高まっています。

また、清浄化を求める流れは強く、過去の騒動などを引き合いに出して、
社会的な攻撃をされると、沈静化は難しく中小企業はたまったものではありません。

こういった文脈に紐付けて絡んでくる可能性が高いのでは、と睨んでいます。

DEIは消えない

根本的に公平性を作り上げていくことは素晴らしいと思います。

しかし、公平な世界が来ることは多分生きている間訪れることはないでしょう。
考えて見れば、今生きている世界は過去から比べてば非常に公平な世界でもあります。

公平な世界でありますが、まだ満たされていない状況です。
きっとこの先も公平な世界へと進んでいくと思いますが、
全ての人にとっての公平が訪れることは多分ないと思っています。

Mr.Childrenの「いつでも微笑みを」という歌の中にこんな歌詞があります。

何もかも思い通りになったとしても
すぐ次ぎの不満を探してしまうだろう
決して満たされない 誰かが傷付いても

この歌詞の部分だけでは理解しづらい部分があると思いますが、
前後の歌詞を読み解くと、満たされたとしても些細な違いを見つけ出しそれを不満や不平に変えてしまうこと。
すでに築き上げてきたことに目を向けるべきでもあると。
そういった事が伝わってくる歌です。

DEIを進めていくことは素晴らしいことです。
しかし、それが永遠に埋まることのない穴を作り続けてしまう。

結局はその穴を理由にポジティブではないビジネスの温床になりがちになる弱点があります。
この根本的な問題があり続ける限り、何度でも形や言葉を変え問われ続けてしまうのです。

過去を清算できない

世界はいがみ合っているとは言え、
より良い方向に進めようとそれぞれが努力していることは間違いありません。

ですが、過去を清算することは未来を良くすることよりも難しく、恨みを解き解くことは未だ叶っていません。
同じ轍を踏むことを繰り返し、それが拭えない憎悪をなっています。

過去を清算できない限り、足を引っ張り続け、最高の結末には至らないでしょう。
DEIが本当の公平性と向き合うのならば、人類の過去と向き合う必要があります。

そして、どこかで誰かが過去を精算しなければなりません。
その精算で多くの人を不幸にするかもしれません。それが新しい憎悪を生むかも知れませんが、
きっと脈々と続く過去より深いものにはならないと思います。

だからこそ、その対象者も許しを与えなければなりません。

簡単ではないですし、簡単ではないことが分かっているから、
その話題には触れたくない状況が作られているのだと思います。

過去を清算できないがために、
DEIの根元にある疑いや疑念、恐怖といったものを払拭することができず、
DEIが達せられることがない。

こういった問題が残り続けるのではないでしょうか。

これら3つの要素があるためDEIが残り続ける理由です。

そのためまた形を変え、企業を試してくることになるでしょう。
その時は社会的にどのような体裁で来るかはわかりません。

解決方法はその時の潮流に合わせる方法もありますが、映画業界のように潮流に迎合することで、
大きな損失や信用の失墜になる可能性が高いです。

そのため新しい潮流が生まれた際には、企業として線引きをし、
どこまでを許容し、どの要素を包括的に取り扱い、大切にするかを示していく必要があるでしょう。

DEIへの配慮をどこまで行うべきか。

すでに述べたように、どこまで配慮を行うかは、その時の経営陣が決定し、
現在の社会に合わせて柔軟に変更していく必要があるでしょう。

経営方針とリンクさせ、重視事項が明記されているような形が望ましいです。
また、これらの重視事項には、理由が必要となります。

背景、バックボーンが必要であり、企業のストーリーや労働特性かもしれません。
その中で必要となるスキルや能力を示し、DEIへの配慮を示すのが理想的です。

一つの会社が全てにおいてダイバーシティである必要はありません。
そのような場では、社内で新しい軋轢や不満を発生させ、結局DEIの問題の温床になります。

これらの重視事項を決める上で、現段階からでも始められることを紹介したいと思います。
求める能力の明文化です。
例えば、「コミュニケーション能力がある」などの曖昧な指標です。

言いたいことは分かりますが、人によって判断が変わりますし、能力とはどんなものかもわかりません。
能力を判断するためにどんなことをしていいかもわかりませんし、担当者の勘によるところが強いのではないかと思います。
コミュニケーション能力とはどんなものかを定義する必要があるでしょう。

定義をすることで失われる要素も多くありますが、これからの時代は明快な方が良いです。
何故なら、これらの指標はDEIへの配慮にも繋がりますし、自社の特徴や特性を読み解くためにも重要な指標にもなるからです。

例えば工事などの現場仕事で求められるコミュニケーション能力を考えてみます。
コミュニケーション能力として大切なのは、どんな場所でも最低限で声でやり取りができることだとします。
ここで定義するとすれば、30メートル先の相手にエンジン型発電機を動かした状態でも声が聞き取れる能力。

思考力や交渉力、空気が読めるというようなコミュニケーション能力を測ることは出来ませんが、
大きな声を出す力があるというのは、快活で体力があることが期待できます。

また別の視点で考え、エンジニア系を仮に想定してメール等でのほうれん草や応対の能力が重要だと判断すれば、
トラブルの原因を結論で始め対策を含む内容を1000字以内でまとめる能力と定義し、試験を行い反応を見るのもいいでしょう。

これらの能力は精神を図って十分であるならば、
男女の性別や、国籍、障害の有無など関係なく雇用できますし公平性が担保されていると言えます。

会社としても重要な能力を測っているのだから、育てて行けば会社の成長に貢献してくれることは間違いありません。
Win-Winの形を作ることが出来ます。

グーグルの採用では、「グーグルらしさ」という曖昧な基準がありますが、
その言葉の額面上受け取ってしまうのは間違いです。

「グーグルらしさ」というのは、あくまで基礎的な基準や能力を測った上でさらに言葉では定義できない、
複雑なバランス感覚を図るために使うのであって、中小が最初から「自社らしさ」で図るのは失敗の元です。

高い水準からさらに絞り混む最後の手段的なもので、取り入れるのであれば厳格に自社に必要な能力を定義して、
これらの能力を試す設問があった上であるべきでしょう。

ここまでDEIをかなり否定的に捉えてきてしまいましたが好意的な面もあります。
最後にそこを紹介して終わりたいと思います。

評価されるためだけの仕事の抑制

DEIに必要な能力や企業の文化を定義することで、
評価されるためだけの仕事を抑制できることが期待できます。

上司へのおべっかやすりよりへの抑制に繋がり、適正な人事評価が期待できます。
能力を定義しているため人事評価の判断指標もより明確になり、これらの介在が難しくなることが予想されます。

公平で公正は評価を得られる可能性が高くなります。
ですので、仕事のための仕事みたいなものも減るでしょう。
きっと真面目に仕事をしている人のストレスも軽減されるのではないでしょうか。
しかし懸念点もあります。

公平な評価をすることは、より格差を生むことになります。
より能力主義になり、能力のない人にポジションは与えられません。

また遊びが無くなり、ある意味で和気藹々とした余裕が生まれない可能性があります。
それが会社の中にとって本当に快適なのか。
疑問が残ります。

スケープゴートはよくありませんが、スケープゴートがいることで、
ある意味で円滑に社会が動くという皮肉もあり、これは人間社会では不都合な真実です。

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また、これが公平ではないとDEIを利用して言い出す人も現れるでしょう。
とは言え、DEIを叫んだ人にとって配慮されたとて、素晴らしい結果を生むかは疑問です。

必要かどうかも分からない仕事を与えられるのが配慮になるでしょうか。
能力がないことを訴えて、勝ち得た居場所は周囲からどのように見えているでしょうか。

きっとそれは、また別の優遇を生み、DEIを自ら破壊したとも言えます。
ですから能力がない人にとっては不公平ですが救いは少なく、
より厳しい現実を突きつけられる可能性が高い。

組織が公平性を担保しようとすると、こういった不公平が生まれ、
DEIを叫ぶことで自ら首を絞めることになる可能性も忘れてはいけません。

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