オランダのアザラシ幼稚園から考える、バズコンテンツの変化について

話題のニュースからコンテンツについて考えたいと思います。

今月話題を博しているのは、オランダのフローニンゲン州にある
アザラシの保護施設の盛り上がりです。

今回はこの話題から、バズを生み出すコンテンツの変化について考えたいと思います。

ピーテルブレーンアザラシセンターと呼ばれる野生のアザラシの
治療、保護、研究を行う施設なのですが、
ここのプールにライブカメラが設置されており
その映像がYoutubeで24時間配信されています。

その映像を見た視聴者の一人がXへの投稿をきっかけに日本でバズったこをきっかけに
寄付や投げ銭による支援なども行われ、
スーパーチャットではランキング1位を記録するなどの事態になっています。

動物愛護や団体支援の観点からみてとても歓迎されることでもありますが
今回は、そういった視点ではなく一つのコンテンツとしてどうして、
ここまでアザラシセンターが注目されたのかについて考えたいと思います。

バズを生む前提条件

バズを起こす秘訣を示すものではありません。
そしてバズり方やスマッシュヒットを起こすポイントを考えるためでもありません。

今回のテーマはコンテンツです。
24時間の定点配信ライブカメラ映像は、
コンテンツとして基本的には成立しにくいからです。

例えば、山の中腹にある道路状況を移したライブカメラと状況は同じです。

ライブカメラの視点で考えると、それがコンテンツか?と問われると首を傾げてしまう。
と、なりますよね。

そのために、ライブカメラ映像とコンテンツを切り分けるために
前提条件を考えたいと思います。

動物可愛い

ライブカメラ映像との違いは、動物の有無だと考えます。
生き物が主体かそうでないか。
ライブ映像との大きな違いの一つなのではないでしょうか。

単純に、多くの人が動物が好きという本能が良い形で働いているからです。
そして動物の強力なところは人種や国、地域など関係なく誰でもすぐに受け入れられる、
政治的、地政学的制約が働かない点も越境してバズが起こっている要因にもなっていると思います。

また生き物の中でも可愛い動物だったことも条件に加えても良いのではないでしょうか。

例えば、ライオンやチーターなどネコ科の動物でも顔つきや立ち姿の凜々しさから、
カッコイイ系の動物だったらどうでしょうか。
おそらくバズにはならなかったでしょう。

お茶目なシーンを見ることができたとしても持続しない印象があります。
理由は癒やし枠ではないからだと思います。

同様に昆虫や爬虫類などもそうなりがちです。

自分個人は、どの生き物にも可愛さがあり、一緒に暮らしてみるとあどけなさや可愛さに気付いて
それも癒やしにはなるのでしょうが、多くの人はそうではなく、
パンダのようなぱっと見可愛い動物が受け入れられている印象があります。

その条件としては、目が大きくぱっちりしていて、人と相対した時に警戒するよりは、
奔放さがある無警戒感の感じられる動物。
または、デフォルメしなくてもぬいぐるみできる可愛げの有無なのかもしれません。

あざらしはその点では、
愛嬌があって可愛い。

十分にコンテンツとして成立する要素を
兼ね備えていたという前提条件があったのではないかと考えます。

これは、何のコンテンツなのか

一般的には動物系の癒やし枠なのではないでしょうか。
アザラシの自然で可愛い姿をみることが出来る。

なんのしがらみがない、愛くるしさは、日々のストレスを癒やしてくれます。
アザラシショーのような器用さよりも調教されていない自然さ。
画面越しにペットを見ているような感覚が今の日本人の心を捉えているのだと思います。

いくつかのニュースメディアでは、そういった疲れた日本人に刺さったとありますが
私の見解は少し違います。

癒やし枠のコンテンツとして大枠は違いありませんが、
Youtubeなどのコメント欄のコメントなどで対話や参加することで
タピオカの映える写真をインスタに投稿して楽しんでいたような
バズに便乗した「流行に乗る自分達」という側面があると感じています。

映える写真でインスタでインプレッションを稼ぐように
Youtubeでは、スパチャの額で優越感に浸れる感じや
コメントすることで参画している感じや一番になれている感じなど

そういった流行特有の仲間同士での推し競争の側面と
ラジオで投稿が紹介されるような配信者とリスナーの関係のような
そういったコミュニティコンテンツという側面もあるのではと感じています。

どうしてこう思うのか。
今回のバズは、運としか思えないからです。

youtubeプロモーションwoYoutuberに取り上げてもらう戦略

自然体と推し活

他の動物園や施設も同じことをしているのにバズっていないのがその理由です。
ライブカメラはいくつもありました。

様々な施設で行われていましたが、
時々地元のニュースやネット記事で取り上げられ小さくバズるも
数日でその勢いはなくなり、
中々、施設の運営を救うほどの動きはないものが多かったのではないでしょうか。

似たような事例では、
日本一やる気のないペンギンショーで有名なおたる水族館などが近いかもしれません。

近年の動物の人気傾向として「自然体」といったものがあります。

おたる水族館

おたる水族館公式チャンネル

やる気のないペンギンショーは、
おたる水族館で行われている普通のペンギンショーなのですが、
名前の通り、ペンギンたちがやる気がないことで有名です。

本来であれば、
よく訓練されたペンギンがトレーナーの合図で芸を見せ、
可愛い姿を見せるといったものだったと思うのですが、
ペンギンショーが始まっても、
りトレーナーの指示を聞かないペンギンたちが、
終始自由にしている様から呼ばれたものです。

動物園側からしたら対外的な部分で恥ずかしい側面があったのかもしれませんが、
現在では動物を尊重している点や、
自由にしている気ままな姿が受け入れられ人気となっています。

ここでのポイントは「自然体」です。

トレーナーの言う事や、
普通ではできないような芸を見せる賢い姿からくる可愛さよりも
緊張感がなく、
自然体でリラックスしている姿に癒やされる、共感が集まるようになっています。

今回のアザラシ幼稚園動でも同様で、
「見るペット感覚」が今回のバズの「可愛さ」に繋がっていると感じます。

そこにはニュースメディアが取り上げているように視聴者のストレスや
ネットのコメント、Xの投稿などでの反論や非難、
誹謗中傷といった数年前まであったネットの自由さは影を潜め
人と会って話すよりも、
気を使う必要が出てきてしまったのも原因の一つに感じます。

同じ考えや思考の人とコミュニケーションとりやすいメリットは変わりませんが、
オープンな場ゆえに、反対意見が出やすく、状況によっては吊し上げの対象になりかねない怖さがあります。

その点、動物のテーマのものであれば、飼育や保護といった特定のテーマに入らない限り、
誰もが「可愛い」という共通認識がとれているため安心感があり、ネット上での数少ない安全地帯なのだと感じました。

そのため、ネットの中で見えない価値が高まっているように感じます。
しかしそれであれば、他のライブカメラも同様なのでは?となります。

事実、アザラシは日本の動物円ではめずらしいものではありませんし
そして、動物のライブカメラ映像は、
かなり前からあり、飼育小屋や野鳥の巣箱の中などのライブ配信は、
Youtubeの初期からありました。

何故他のチャンネルはバズらないのか。
それは運としか良いようがありません。

そのバズを作り出す運の一つが「推し活」にあると思います。
バズが起こる推し活の中で重要な指標は、
視聴者同士の見えないヒエラルキーの発生とリスナーとハガキ職人との関係性のような
コミュニティ感の創出があるかだとみています。

この二つが作用することで、小さなバズが持続し、キー局が取り上げるようなニュースや
大きなお金を動かす流れを作り出すことに繋がるとみています。

インスタ映え型の流行コンテンツの喪失

今までの流行は、タピオカに並ぶ行列のように「映える何か」の体験とネットへのアップすること。

それを誰よりもはやく取り上げることで
「情報強者」であったり「先駆者」としてのポジション作り、
実際にそこへ行きたいと思わせる誘導があることで、
発信者とお店やスポットとのWin-Winの関係が作られ
人が多く流れ込んでくる「流行」の仕組みがありました。

ある人は情報強者になるために、
ヒエラルキーの高みを目指して発信者に追従します。

または「映え」の中にある「優越性」をアピールするために発信者になります。

彼らは発信の中で見えないヒエラルキーを作り互いにライバル視したことで、
映えるお店やスポットが自然と注目されるようになり、それがマネーとなり相乗効果を生みます。
多くの人に取り上げられれば自然とムーブメントが起こり「流行」が作られます。

しかしこれらの仕組みは、
ある意味数年でビジネスとして思われてしまうほど利用されすぎてしまいました。

発信者のカモにされているように感じたり、
利用されているように感じる「映え」にうんざりしている人が増えたため
バズを作り出そうとしている感が否めず、拒絶反応が起こる。

あまりにも多様されることで、「映え」を重視している発信者が「マルチ」に
見えてしまっているような感覚なのではないでしょうか。

そういった本物と偽物が混在する世界観に疲れてしまって気持ちが話半分になっている点が
その映えを体験している自分も、
発信者に踊らされている「情報弱者」なのではないか。という疑念が拭えない。

素直に喜べないし、投稿しているものを、
友達からヒエラルキーの高みを目指しているインフルエンサーもどきと思われたくない。

バズというのは、視聴者のアクションが起こることで分かれます。
ではその分水嶺はどこかと言えば、明日の友達や同僚、家族の話のネタになるかです。

そこにはコミュニティがあるはずです。
そのコミュニティで受け入れられなければネタになりません。
学生時代の頃を思い出して見て下さい。

自分にとってリスクがありそうな話のネタは出さないですよね。
そのコミュニティの中で自分のポジションに悪影響が出そうなものも避けます。
もし、「映え」がそのコミュニティでネガティブな印象になっているのなら…………。

そういったリスクがインスタ映え型の流行コンテンツの喪失に繋がっているようにも感じます。

しかし、今多くの人がインスタ映えをバズコンテンツだと思っているはずです。
ですが、それはもう腐りかけたバナナかもしれません。

勘のいいガキには飽きられています。

youtubeプロモーションを仕掛けていくために

「推し活」というコンテンツの桃源郷

コミュニティという点で推し活はコンセンサスがとれています。

ネット上であっても推しには特定のグループやコミュニティの存在があるため、
同じ推しのコミュニティ内であれば、全て受容される。

原理原則のようなものです。

キリスト教の人がイエスキリストを否定することはないですよね。
それに近いものだと考えるのがいいでしょう。

だからこそインスタ映え型のコンテンツにみるリスクはありません。
この部分に本能的に気付いているのではないでしょうか。

コミュニティ内での推し活行動は、否定されることはないので安心できる。
そういった安心出来る場所と「許される発信」

それがコミュニティ内で小さなバズを生むことがある。
その発信がコミュニティの外でも受け入れられるものであれば、広がって行き
継続性の面ではコミュニティのメンバー、反響が肯定を生みより大きな反響をつくり
コミュニティ外でも力を生み始め大きなバズに繋がっていく。

これが2024年以降のバズなのではないかと感じています。

推し活型コンテンツのリスクとは

コンテンツの桃源郷である推し活にリスクがないとは言えません。
それがヒエラルキーの存在です。

ヒエラルキーは目に見えるものではありませんが、
どこにでもあり、現状顕在化していなくても内在し続けるリスクでもあります。
コミュニティ内での発信で否定されることはないですが、妬み嫉み、畏怖や疑いが産まれます。

推し活では貢献度が見えないヒエラルキーを作り、
コミュニティでいかに高い貢献ができるかといった競争が生まれます。

推される側は、多くのものを受け取ることができるでしょう。
しかし、そのヒエラルキーはコミュニティの崩壊を生み出す原因になります。
そして推し活型のバズコンテンツは、コミュニティの崩壊を加速させるでしょう。

対外的にも注目されればヒエラルキーは決定的になり、競争が激化します。
競争は戦争と同じで、消耗戦です。果てには、荒野しかありません。
互いに出せるものがなくなれば自然とコミュニティが消滅していってしまうのは自然な流れです。

バズコンテンツという点で言えば、一度コミュニティの外でもバズってしまうと
コミュニティ内外でそのアクションはインフレしはじめ、ヒエラルキーの格差をより顕著にさせるでしょう。
結果的にコミュニティの寿命を短くすることになり、第2、第3のバズは期待できなくなる。

すると推される側としても旨みは少ないという点で
バズコンテンツとしては一発屋になる可能性が高く、
バズが終了し、勢いがなくった時に色々と試されることになるでしょう。

この点は飲食業界の流行廃りの事例から学ぶのが良いのではと
思っています。

個人的には、花畑牧場の流行と衰退の事例を見ると分かり易いと思っています。

サンスポ 田中義剛「大変でしたね、死亡説」 生キャラメルの後はチーズがヒット

WIKIpedia田中義剛

リスナーとハガキ職人コミュニティの関係性が鍵か

コミュニティの消滅とヒエラルキーの発生によるインフレを抑えるためには
ラジオのリスナーとハガキ職人の関係性が作れるような運営をする必要があると感じます。
継続的なコミュニティを作ることができるのでしょうか。

推し活型との関係性の違いは、コンテンツの消費が推される側だけにないことです。
ラジオのリスナーは推しの話を聞きたいと思っていますが、ハガキ職人はその話を盛り上げるネタを提供する存在でもあります。

リスナーは話しを盛り上げるハガキ職人を尊敬するも、面白い話というメリットを享受できているので、
ヒエラルキーの発生は最小限に留めることができます。

また、リスナーから新しいハガキ職人が生まれても、
投入されるコンテンツは、コミュニティ内で消費されることになるので別のハガキ職人のシェアされるため
格差の発生は最小限になるでしょう。

しかし、これらはバズを産みません。
コンテンツはコミュニティ内で洗練され、中々対外的なウケの良さが減少してしまいがちです。

学生生活で言えば、中学で受けていた鉄板ネタも高校では受けないようなものです。
共有してきた時間や体験がかけ離れているため、その面白さが地元中心のメンバーでした共有できないのです。

このためバズコンテンツを生み出すことが難しくムーブメントを作り出すことは困難でしょう。
すると推される側としては、全く別の方面で新しい市場を開拓するか、
コミュニティをあるいみヒエラルキーが発生する方向に調整してゆく必要性が出てきます。

運営側としては対外的なコンテンツとしては使えず扱いが難しい。
そういったデメリットを想定しておくべきでしょう。

Osmo Pocket3はYoutube撮影に最適なカメラだった件

動画としてバズコンテンツを考える

これからは現在呼ばれているバズを目指さないことが重要なのではと思っています。

理由は、バズコンテンツは起爆剤としては強力ですが、様々なものにインフレを発生させ
長期でのバランスコントロール性を考えるのならばリスクが高いと言えます。

また収益性の観点から考えてもコミュニティは、
一定の収益性が期待できるキャッシュポイントです。

であるならば、
コミュニティの喪失が最大のリスクでありインフレをコントロールすることを重視し、
コンテンツは、内輪ネタで面白いコミュニティを活性化するようなものにし、
小さくキャッシュ化を促す程度留めるようなコンテンツ作りのネタ素材や、
企画を出してゆくのが良いでしょう。

また、一定の収益性が見込まれるようになれば、
対外的にコンテンツをコミュニティの外で別軸として展開してゆく。

バズコンテンツは内燃機関として焼べるものの役割に収めていくべきなのではないか。
そのように感じます。

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